欲に流れると

欲に流れると自分の心をほったらかしにしてしまう。

だから、心の中には寂しさが溜まります。

でも、寂しくても欲に流れている限り、寂しさを感じない。

だから、寂しさを感じたくないから、次から次へと欲に流れてゆきます。

そのうち欲以外のことをすることが面倒臭くなり、欲以外のことは何もしなくなります。 

そんな人には、欲に流れることをストップして苦しみを感じさせることが必要です。

そして、ただ欲を止めさせるだけでなく、そばにいてあげる。

そして、寂しさを癒やしてあげることが大切です。

そうしなければ、その人は正気に戻ることはありません。

欲に流れ続けながら、思い通りならないことに怒りを起こし、当たります。  

欲は楽しいものですが、ほどほどにしないと自分を苦しめて、そこから抜け出せなくなってしまうのですね。

相手が自分だと見えない

人は自分に不満がある時には文句を言うのに、他人が文句を言っていると、あれは良くないと責めていても、何とも思わない。

自分というものは見えないものです。

他人の姿を見て、それが正しいかどうか、判断するのではなく、自分にもあるなあと見ることができたら、反省できるし、成長する。 

でも、私たちは他人を見て、あれが悪いと見るときは、自分には悪いところなんてないと思って責めている。

責めるから、余計正しいところに立ってしまい、相手の姿を見て、自分にもあると思えなくなる。

そうやって、反省することなく、歳だけを取ってしまうのです。

大人だから子どもと違うのではない。

子どもと変わらない大人も世の中にはいっぱいいるのだなと思いました。

大事なものを守るため、頭を下げる

人生とは、結局、大事にしているものが残る。

歳を取って、みんな自分から離れてしまった人は、その人は人生で大事にしてきたものが無かったということ。

どんなにこれが大事と言っていても、大事にするとは、その大事なものの為に、自分が折れるということ。

そして、大事なものを守るために、どれだけ頭を下げてきたかということです。

誰だって謝りたくないもの。

その下げたくない頭を、大事なものを守るために頭を下げてゆく。

それができなければ、大事なものでも、最後は自分から離れてゆく。

最後に孤独にならない為にも、素直に頭を下げることができるようになりたいですね。

不安

不安は自己否定から来る。

自分の中に正しい自分と醜い自分がいて、正しい自分が醜い自分を否定している。

だから、醜い自分が見えた時に否定されているような感じがして不安になる。

不安とは、自分の存在が何かのことで否定されてしまうのではないかと感じること。

不安な人は、不安の原因を探して、これが不安の原因ではないか、あれが不安の原因ではないかと思います。

でも、たとえ自分の思う不安の原因が取り除かれたとしても、不安は消えない。

それは不安は自分が生み出しているからです。

ありのままの自分をこれではいけないと思っている自分がいる。

それが不安の源。

醜い自分も正しい自分も両方自分だと思って受け入れていくことが安心して生きてゆく為に大切なことなんだと思いました。

どんな相手であっても差別してはならない

仏教から言ったならば、どんなに悪人であったとしても、その人を否定し、差別してはならないと教えられる。

それはどんな相手であっても、差別したならば、自分の心が不安になり、苦しむからです。

相手に向けた思いは自分へと返ってくる。

そういう意味で相手は自分。

悪人だからといって相手を否定したならば、自分が悪人と見られた時に、否定されているように感じて苦しむ。

だから、どんな相手も差別をしていい人はいません。

どんな相手も自分と同じなんだと思う心、それが大事なんですね。

今を大事にする

人生は一度しかない。

だから、今という時間を大事にして如何に生きるか、それが大切な心がけだと思います。

今という時間を大事にするとは、今という時間はかけがえのない時間だと思って生きること。

そして、心を込めて目の前のことに取り組むことです。

幸せはこの心からどんな思いを起こしたかで決まります。

だから、この時間を大事にしたいと思って生きたならば、心から幸せな思いを起こして生きてゆくことができます。

私たちはとかくこれが終わったら、次はこれと次々思い通りに物事を進めたいと思っています。

でも、思い通りに物事が進まなくても、今という時間を大事にして、生きてゆくことが幸せになる為に大切なことなんだと思いました。

責められないように生きている

多くの人は、幸せになりたいと言いながら、本当は幸せになりたいと思っていない。

幸せになりたいのではなくて、責められないように生きているだけなのです。

いつも心の中に間違ったことをすると責めてくる鬼がいて、その鬼に責められないように自分の思う正しいことをしている。

そして、正しいことをしたら責められる不安から逃れられると思って、責められなかったら安心だと思って生きているのです。

でも、どんなに責められなかったとしても、それで幸せになれる訳ではない。

そもそも幸せを求めて生きているのではないので、責められない安心はあっても幸せではない。

幸せを知らないまま、生きてゆくしかないのです。

幸せになるには、苦しみからまず離れないといけない

自分の世界は、日頃、自分がどんな思いで生きているかによって決まります。

幸せな思いを起こして生きていたら幸せになれるし、他人を恨み呪っていたら、苦しみの世界になります。

だから、幸せな思いを起こして生きればいいと分かっていても、自分の心だけはどうにもなりません。

温かい心、優しい心を起こしたいと思っても、わき上がるものは、妬みや不満の心。

幸せとは、程遠い心ばかり。

そういう時は、そんな苦しみを生み出す思いを起こしてしまう自分を許してあげることです。

幸せな思いは、まず苦しみから離れなければ起こせないもの。

だから、苦しみを生み出す悪を責める心から離れてゆくことが大切です。

悪を責めることがなくなれば、自分が起こしたいと思った思いを起こすことができます。

だから、幸せになりたいと思ったら幸せになることができる。

幸せになるには、苦しみからまず離れないといけないのですね。

人生は修行してこそ

人生とは修行の場。

どれだけお金を稼いだかということよりも、どれだけ修行をして心を成長させたかが大事なのです。

修行をして心を成長しなければ、何も変わらないまま、歳だけ取ってしまうことになります。

歳を取った時に、中身は子どもと変わらなかったならば、自分は何のために生きてきたのかということなってしまいます。 

だから、思い通りにならないことがあっても、これで修行ができるなと思って、心を込めて目の前のことに向き合うことが、結局、自分を幸せにしてゆきます。

人は自分だけ頑張ることは損しているように感じますが、頑張ることはタネを蒔いている時、どうせやるなら心を込めて心を成長する為のご縁にしてゆきたいですね。

本質をつかむ

仏教とは、目の前に起きた現象を通して、そこに貫く本質をつかむ教え。

でも、本質というのは、経験したからといって、すぐに分かるものではありません。

だから、教えに従って実践してゆかなければなりません。

毎日、心を込めて続けてゆくことで、ある時、これはこういうことを教える為だったんだと知らされます。

そして、一つ知らされると、すべてにおいて、本質があるのだということが分かり、本質を見抜こうとする目に変わります。

何を見ても、そこに貫く本質とは何か。

それを考えて世界を見るようになります。

本質が分かれば世界が変わる。

不安な世界を安心して生きられるようになります。