人に残す

どんなにこの世で智慧をみにつけたとしても、自分が死んだら、その智慧もこの世から無くなってしまう。

だからこそ、この世で得た智慧を人の中に残してゆかなければならない。

人生というのは修行によって智慧を身につけ、その智慧を人を育てることによって次の世代へと残してゆくもの。

だから、人が大事であり、人を大事にしてゆかなければならない。

この世の宝は智慧。その智慧を未来へと引き継いでくれる人だから、大事にしなければならない。

自分が成長することも大事だが、同時に人を育ててゆくことも大事。

この世の宝を守り残してゆく為には、人から人へと引き継いでゆくしかないからです。

本当は知らない

どんなに努力をしても方向性が間違っていたら幸せにはなれない。

世の中では、頑張れば報われると思っている人がいますが、幸せに関することで言えば、正しい方向でなければ、努力したとしても、それで幸せになれる訳ではありません。

正しい方向は、正しい智慧を持っている人から聞かなければ分からない。

私たちは自分は正しい智慧を持っていると思っているから、智慧のある人から教えを聞かなくても幸せになれると自惚れている。

でも、それが自惚れであって、幸せに向かって進んでいる訳ではないことは死んでゆく時にしか気づかない。

でも、死ぬ時に気づいても手遅れ。

幸せになる智慧を知らないのだと気づくことが本当の幸せになる為には大切なこと。

頭を下げて教えを聞きたいという思いが自分を幸せに変えてゆくのです。

魂はあるもの

よく死んだら何も無くなるという人がいますが、もし無くなるというのなら魂というものはないことになる。

もし魂がなかったとしたら、生まれた時の性格の違いはどう説明したらいいだろうか。

私たちは一人一人性格を持って生まれてくる。

そして、その性格の違いは魂、つまり、過去世から繋がっているものがなかったら説明がつかないものです。

もし過去世がなかったら、人間もっと素直になると思います。失敗しても後に引くものはなく、ロボットのように分析して反省できます。

しかし、私たちは失敗してもなかなか現実を受け止めることをせず、都合の良いように現実を歪める。

まるで過去世から、失敗から逃げてきたように、現実と向き合うことはしない。

このしぶとい性格を持っていることを見ても、過去世から、そんなことを繰り返してきたんだと思います。

どんなに失敗しても、変えようとしない自分がいる。

このしぶとい自分がいるからこそ、遠い過去世から繋がっているものがあり、そして、自分というものが変わることなく今に至っていることが分かります。

努力は私を裏切らない

努力は私を裏切らない。

結果は、種まきの積み重ねによって生み出される。自分で納得するところまで、まずやる。

努力に対して一切の妥協をしない。

たとえ思うような結果が出なかったことでも、納得するところまで努力したものは諦めがつく。

もちろん人生の幸不幸は努力とは関係の無いこともあるが、勉強は努力と大きく影響する。

覚えるところ、身につけることが決まっているものは、努力によって必ず身につく。

幸せは幸せになる智慧を知るかどうかが大切ですが、人生における結果は身につけるものが決まっているものを身につけるかどうかで決まる。

努力は裏切ることはない。

結果が出るまで努力を積み重ねてゆけるかどうか、それが思い通りの結果が出る為に大切な心がけだと思いました。

欲に振り回されないようにする

仏教では、欲が多くなると自分で自分のことがコンロールできなくなり、欲に振り回されるようになると教えられます。

子どもならご飯の時間があっても、遊ぶという欲が断ち切れず、ご飯もそっちのけで遊びに夢中になってしまうようなものです。

こうなると、親としては、ご飯を終わらせたくても、終わることができず、いつまでも時間が取られてしまう。

だから、子育てを楽しむどころか苦痛になってしまう。

こういう時は、対象となる欲を捨てて、欲に振り回されないようにすることが大事です。

欲はコントロールできるだけにする。

そうすることで、欲に振り回されることなく、子育ても楽になる。

子どもは欲に振り回されるもの。

そう正しく見て、欲を減らしてゆくことが大切ですね。

いつも穏やかな心でいることに心がける

何気ない毎日が心がけ次第で成長のご縁となる。

日々、心を見つめて、常に穏やかな心でいるように心がける。

何もなければ穏やかなにしていることができても、子どもがうるさかったり、言うことを聞かなくても、穏やかでいることができるか。

心がけ次第でどこでも修行の場にすることができる。

一時的には穏やかになれても、それをいつも維持することは難しい。

特に相手があると、相手が思い通りにならないだけで、イライラしてしまうこともある。

そんな中でも穏やかでいることは難しい。

それが心の修養となる。

心を磨くこと。それが幸せになる為に大切な実践項目。

心が穏やかならば、どんな環境でも幸せな心でいることができる。

幸せは環境で決まるのではない、穏やかな心でいることができることが幸せなのです。

いつも穏やかでいることに心がけてゆきたいですね。

嫌いな人がいるのは

人間だから、好きな人もいれば、嫌いな人もいるものです。

でも、仏教的に見て、嫌いな人というのは、その人のことが嫌いなのではなくて、その人を通して嫌いな自分が見えるから、嫌いなのです。

だから、本当は嫌いなのは自分自身。

自分の中に自分自身も嫌いな都合の悪い自分がいる。

それが相手の存在を通して見せつけられるので、嫌いなのです。

でも、嫌いな自分も自分自身であることには変わりありません。

だから、みんなから嫌われる自分であったとしても、自分だけは嫌わないであげる。

そして、好きになってあげる努力をする。それが大事だと思います。

嫌いな自分を好きになれば、この世に嫌いな人はなくなる。すべてが気持ち良く付き合える人だけになります。

絆が切れないからこそ

親と子には切っても切れない絆がある。

それは親にとって子どもはいつまで経っても子どもだし、子供にとって親はどんなに年老いても親だと思っています。

だからこそ、子どもは親に対して親であることを期待する。自分が機嫌が悪い時は、自分の気持ちをそのままぶつけても、親は受け止めてくれると思っています。

しかし、親からしてみたら、そんな子どもの甘えをそのまま受け入れてあげることはなかなかできず、親は親で感情を乱してしまう。

それでも親子は親子。やっぱり絆は切れないから、子どもは親に親を期待して、感情を受け止めてもらおうとする。

どんなに絆が切れないからと言って、子どもの気持ちを受け止めてあげなければ、子どもは寂しいもの。

親ならば、どんなに傷つくことを言われたとしても、子どもの気持ちを受け止めてあげて欲しい。

子どもはそのことをいつも期待しているし、その期待に応えることが親としての責任だからです。

子どもは親に対して不遜なもの。

それを許して受け入れてあげる海のような広い心を持ちたいものですね。

生き方を変える

仏教の教えが分かってくると人生の多くのことが死んで持ってゆくことができないものの為に費やしていることが分かっています。

だから、生きる為には働かなければならないが、何のために生きているのだろうと人生のあらゆることが虚しく感じられます。

このような人にとって、どうせ時間をかけるなら価値のあることに時間を使ってゆきたいと思う。でも、今まで生き方には価値のある生き方はなかったから、何の為に生きてゆけばいいのか分からないのです。

人生最後に残るものは、己の業だけ。

この業を少しでも良くすることだけが人生の中で唯一意味のあることなのです。

今までは煩悩を満たすことだけだった人生を業を良くする為に生きる。

生き方を変えてゆかなければ価値のある人生にはならないのですね。

できる所に立っているから

人は一旦現実と向き合うことから逃げてしまうと、とことんまで現実から逃げ続ける。

そして、逃げている間はできている所に立っているから、どうにもならない現実にぶつかると、ただ嘆くだけしかしません。

嘆くのは、できている自分に立ちたいけど、どう頑張っても立てないから、なんで自分はこんなにもダメなんだと自分を責めることで、自分を責めるということはやっぱりできる所に立って、ダメな自分を責めているのです。

人間はなかなかできている自分の我を崩そうとはしない。もし崩して自分もできないのだなと認めることができたら、失敗しても現実と向き合い、問題を解決してゆこうとします。

結局、やりもしないくせにできている所に立っている自分。その自分の我を崩さない為に、現実から逃げ続けてしまうのです。

できない自分と向き合うことは苦しいことですが、そこから道は開かれると思いました。